みなさんはじめまして。
陰glish BLOGです。
どんな人間なのかは
以下のスペックをご覧ください。
[スペック]
・アラサー
・無職
・英検1級/TOEIC990
・元学校教員/元塾講師
・海外経験一切ゼロ。パスポート持ったこともない。
・友達はもちろん少ない。
要するに、英語ができる日陰者です。よろしければ、Twitterもフォローお願いします。
◎ちょっと文体を変えて書いてみます。今後どうなるかは反響次第で考えます◎
今回は「まあまあ英語の実力があるはずなのに、自信を失ってしまう人、多すぎない???」ってハナシをしていく。
Twitter ランドなんかが顕著なヤツ。
TOEIC700点とか800点とか持ってる人たちが、「なんで俺はこんなに英語ができないんだろう」みたいな呟きを呪詛のごとく重ねていたりする。
いや、あなたはそう思ってるかもしれないけど、世間一般と比べたら、TOEICの700や800なんか全然できる方じゃないですかっていう。。。
で、そういう、まあまあ実力があるはずなのに、ナンカ英語への自信をどんどん失っていって、それに対して前向きに邁進していくことができなくなっていく人たち。
これ、私、めちゃくちゃに心当たりがある。
誰かって言うと、国際基督教大学、つまりワタシの母校の学生たち。
彼らICU生が、如何に英語を捨てていくのかってのを題材に、語ってみよう。
今回はあくまで、「そこそこ実力あるのに自信を失っちゃう人」についての話だっていうことは、ご承知おきください。
Contents
軽くICUの知識から
軽くICUの話をしなきゃいけない。めっちゃ手短に行こう。
ICUの4月入学生はほぼ全員、必修英語をハチャメチャにメチャクチャにやることになる。
とりあえず入学時に、TOEFL ITPとかがあって、その結果で4つのクラスに分かれる。
不正確を承知で、各々どんぐらいの英語力かな?っていうのを、世間一般と比べて記してみた。
以下の通り
ストリーム1(1クラス)
→ウルトラアルティメットできる
ストリーム2(まあまあすくない)
→ウルトラできる
ストリーム3(最大多数勢力)
→できる
ストリーム4(まあまあ多い)
→まあまあできたり、あんまできなかったり
最大多数戦力が、「ストリーム3」です。
ICU生で標準くらいの英語力を持った方っていうのは、だいたいここにぶち込まれる。
レベル感は、(マグレでストリーム3な人間もいるけど)旧センター試験180ぐらいならケッコウいるってカンジ。
今の共通テストでも、8割9割、ひょっとしたら10割近く全然取っててもおかしくない、くらい。
もう1個下の ストリーム4だと、正直、「できないな。。。」って人も含めて、いろんな人がいるけど、センター180取ってたり早慶を蹴っ飛ばしてたりってのもいる。
まあつまり、ストリーム3とか4でも、入学時の英語力は、同年代平均と比べて圧倒的に高いはず。
ストリーム3,4の学生たちの行く末
実際、この辺にいる民に関しては、必修英語が終わった後は、相当多くの割合が「なるべく英語に触れないような道」を歩み始める。
もちろん、英語を捨てる捨てないは各自の自由。
もし、精神的に辛いのであれば、英語なんてものは捨てていい。
それは私の一貫した立場のつもり。
でも、世間一般的に見て、よっぽどできるはずの人たちが、英語を捨てていくっていうのは、個人レベルではなく集団レベルで見た時には、おっきなおっきな、人的資源の損失じゃない?
なんでこういうことが起きてしまうのか?ってハナシです。
[結論]相対的に下位にいる自分に折れる
あくまで俺の意見だけど、結論ファースト。
なんでかって、周りと比べて相対的に自分が下位にいる、つまりヒエラルキーの下層にいる、っていう事に対して、心が折れてしまうから。
Stream3とか4にいるような学生の声を、リアルに聞いてみると
「私スト3の純ジャパだから別に英語は全然できないから〜」とか「いや俺とかスト4でバカなんでもうダメですわ」とか
そんなんばっか。
入学時の英語力の優劣なんか、その先の大学4年間の努力次第で簡単にひっくり返るはず。
けれども、そのタイミングで与えられたクラス分けの数字に対して、自分の能力っていうのを固定化して、そこから動かなくなってしまう。
高校時代は「神童」でも、だからこそ
ぶっちゃけ、スト3・4の人々でも、高校んときは学年5位や3位、1位だとか、全国偏差値70だったとかなんてのは、別に珍しくない。
英語に関しては、今まで優越感に浸れていた立場ってこと。
そういう人たちが、入学時のクラス分けのテストで下から2番目になったりすると、カンタンにブチ折れていくと。
こういう、所属する人間がヒエラルキーを見いだして、そして折れていってしまうような構造。
どうせ、ICUじゃないどっかの頭いい他大でも、同じようなことが発生しまくってると思う。
ワザワザ書かないけど、社会にもいっぱいあるし。
しかし、私1人がここでこうやって糾弾したとしても、残念ながらそれが変わることはない。
変えられるものは?
だからこそ、ちょっとでも変えられる可能性があるものに集中したい。
で、ブログとかいう媒体でできることは、これを読んでいる個人個人に、どういう心を持っていくか偉そうに助言してみることなはず。
その前振りとして、一般的に正論や正解とされるような心の持ち用っていうのを、デカい太字で書いてみる。
周りの人間と自分を比べるのはやめよう!!!
自分の能力に集中するんだ!!!
正しいですね。素晴らしい。これができたら、これでいいと思うよ。
でも、ワタシはこうも聞きたい。
これって、実際、できますか?
人間は比較するようにできている
私の持論ですが、人間は比較するようにできている。
何かと何かを比べない人間なんかいない。
人生は比較の連続。
今日、何食べたいか。
カレーを食べたいか?それともヘルシーに済ませたいか?
今日の気温は20°Cです。
あったかいですか?寒いですか?そんなのわからない。
何月なのかってのと、そして、その月の平均気温と比べないと。
ほら、人間は比べる生き物。
[提案]比較対象を「世間一般」にしろ
というわけで、人間は比べる生き物なわけで、我々にとって最も大切であろう、自分そのものっていうのを何かと比べないようにするのは、難易度が高い。
だからこそ、ワタシは、「比較対象っていうのを世間一般にする」ってのを提案したい。
例えばICU。周りの人間、めっちゃめちゃ英語できますよ。
いや、そこと比べるから折れるんだよ。
じゃあ、そこと比べなけりゃいい。それだけのハナシ。
んで、どうしても比べちゃうんだったら、比較相手の集団っていうのをデッカク、それも、勝てる連中、つまり、世間一般ににしちゃえばいい。
国際基督教大生であれば、入学する段階で自分が英語の偏差値どんなもんだったかってのから、自分は客観的に世間一般と比べたらこのぐらいの位置にいるって、考えられるはず。
TOEIC700-800点という人だって、同じことができる。
そもそも、まずTOEIC受けてるだけで、多分めちゃくちゃ英語に対して(正しい意味で)意識の高い母集団なわけで。
そして、700とか800ならその中で上位何パーセントにいるとかみたいなのは、ちょっと計算すれば知れるハズ。
そーやって客観的に割り出した自分の立ち位置に、自己評価を一致させていけばいい。
言っちゃえば、俺SUGEEEEしていいんだよ。
いやいや、ちょっと傲慢じゃない?
そう思うかもしれない。でも、この統計データを見てほしい。
「自分はダメな人間だと思うことがある」
ええ、日本だけ、この赤のバーの圧倒的なデカさ!!
多少は、謙虚さっていうのを捨てて、自分を信じられるような方向に思考を修正したって、別にいい気がしてこない?
思想・良心の自由
自分をどう思って、どういう風に捉えていようと、それを不必要に外に出さなければ、反感なんか買われようがない。
何なら、内心どう思ってるかなんか、究極的には自由なはず。
だって、日本国憲法で思想の自由は保障されてるし、んなこと抜きにしても、内心でエゲつないこと考えてる人なんか、山ほどいるんだから。
同じ電車のあのオッサンも、あのネーチャンも、実行したら社会的に抹消されるのがアタリマエなことを考えてるはず。
それを外に出さないだけで。
だからこそ、自己評価なんか、俺TSUEEEEEができる方向に変えてしまえばいい。
それでアナタが前向きになれるなら。
まとめ
・「客観的に見て一般よりもある能力が優れている人間」でも、比較的自分が劣っていて、それが可視化される環境に置かれると、多くの人間が、カンタンにぶち折れる。ワタシは国際基督教大でそれを何度も見てきた。
・ICU新入生のみなさんも、英語界隈のスーパーマンと自分を比べて苦しむ皆さんも、「一般」と自分を比べ、自己評価をそこに合わせるくらいは、していいんじゃない?